匠雅音の家族についてのブックレビュー    不安な兵士たち−ニッポン自衛隊研究|サビーネ・フリューシュトゥック

不安な兵士たちニッポン自衛隊研究 お奨度:

著者:サビーネ・フリューシュトゥック  原書房 2008年 ¥1900−

 著者の略歴−1965年、オーストリア生まれ。1996年、ウ ィーン大学にて博士号取得(日本社会学)。現在はカリフォルニア大学サンタバー バラ校教授(近現代日本研究)、東アジアセンター所長。近現代日本の文化と社会、特に、権力/知、ジェンダー/セクシュアリテイ、軍事/社会について研究。著書に「Colonizing Sex:Sexology and Social Control in Modern Japan」[性の植民地化−近代日本の性科学と社会統制](University of Califonia Press 2003

 本サイトは、軍隊に関しても、「軍事学入門」「西部戦線異状なし」 「戦争請負会社」などと、何冊か取り上げてきた。
それは歴史上いつの時代にも軍隊は存在したし、軍隊が存在するのが、普通の国家であった。
軍隊を語らないことは、逃げだと思うからだ。
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 我が国の軍隊は、自衛隊と名乗って、戦わないことを宣言している。
それは、「兵士に聞け」でも書かれていた。
しかし、軍隊とは戦うことを旨とする組織であり、戦わない軍隊というのは語彙矛盾である。

 軍隊でありながら、戦わないと宣言している自衛隊とは、如何なるものか。
社会学者である筆者は、体験入隊までして、自衛隊に迫った。
その研究レポートであるが、平易な文章で書かれているので読みやすい。

 まず、筆者も指摘しているように、自衛隊員の存在証明が、きわめて曖昧なことである。
戦う=国防のための軍隊でありながら、誰も戦うことを考えていない。
むしろ、災害復興などの出動が、市民に歓迎されることから、自衛隊員自身の主な役割になってさえいるという。

 軍隊がハイテク化し、武力の行使に、屈強な腕力が不要になりつつある現在、軍人であることによる男らしさの証明が難しくなっている。
それは自衛隊だけのことではなく、世界的な傾向だが、もっとも戦う軍隊であるアメリカ軍では、必ずしもそうではない。

 アメリカ兵はプロだから、暇があればジョギングして体を鍛えているという。
そして、日米合同訓練では、自衛隊員はプロ根性のなさに、自虐的になっているらしい。
しかし、今日的な目で見れば、むしろ自衛隊のような土木屋的な集団のほうが、国土防衛にも適しているかも知れない。
 
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 厳しい野外演習で山に行くと、よく戦争の話になると多磨は言う。「基地に帰らず何日も続けて森の中で訓練して、みんなくたくたで座っているとき、たいてい戦争の話になります。もし、戦争になったら」多磨は断言した。「男も女も、私たちのほとんどは(自衛隊を)辞めるでしょう」P38

 
橋本元首相や斉藤二佐のコメントに示された軍人としての男らしさを、どうしたらきちんと貫けるかについての懸念は、私と話したおおぜいの自衛隊員の言動にも現れていたが、これは決して自衛隊特有のものではない。それなのに、日本の兵士は自分たちのカモフラージュされたジェンダー・アイデンティティを意識しすぎる傾向がある。兵士とはこういうものというタイプが多様化している現在、世界中の民主国家の軍隊は、異なる性やジェンダーの統合を目指すようになり、冷戦後の世界で軍隊の正当性を保つため、どのような役割を担うかについて試行錯誤を重ねるようになってきている。P73

 女性自衛官も4パーセントを超えた。

 
フェミニスト・ミリタリストとは、除外された経験からモチベーションを高め、その経験を原動力に性差別と戦い、軍組織に完全に組み入れられることを目指して戦う女性兵士を指す。女性自衛官は懸命にこれら緊張状態にある問題のバランスをとり、それにともなうプレッシャーに耐えようと努力する。P117

 そして、筆者は次のような結論を下す。

 
おそらく、世界中のどこの兵士よりも日本の自衛隊員は、兵士らしく活動するにはどうしたらよいかについて不安を抱いていることを自覚している。そして、(訓練された)兵士でありながら、人道主義者、救援者、技師、建設作業員、便利屋(をしている)という自らのカモフラージュされたアイデンティティを意識しすぎているように見える。本書を通して私がずっと強調してきたように、日本の国家とその軍隊の「普通」と「成熟」についての懸念や不安が個々の隊員に与える影響は、隊員たちの日々の生活を通じて絶えず強まっている。P234

 結局、自衛隊は周回遅れのランナーになってしまったようだ。

 欧州諸国はもはや国のために戦って死ぬ用意がある市民を作り出す必要性を感じていないが、日本はそこまで割り切れず、ためらいがある。自衛隊は、旧日本軍で「普通の」もしくは「本物の」兵士の本質とされていたものを広めようとする自己呈示の形式の中に屈している。その形式の核心は、上官への絶対服従、天皇と国家に命を捧げる覚悟、犠牲、優秀さ、威厳、禁欲、自制、大義への献身を通して英雄にふさわしい勇敢な行動をとる、などだ。P236

 企業の内部告発を見ても判るように、上司への服従や、職務への忠実さなどより、人間として行動することを求められ始めている。
とすれば、旧日本軍のような規律は求められていないにもかかわらず、政府などは旧日本軍のしがらみから切れないでいる。
いいかえると、新たな時代に適切な軍隊像が、まったく描かれていないことだ。

 国民国家の概念が崩壊する可能性はおくとしても、情報社会の国防には、腕力が無用になりつつある。
ここでも会社員と同様に、女性も兵士になれる。
戦いを禁じられた軍隊のアイデンティティを、さまざまな角度から考察している。
(2008.10.2)
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参考:
M・ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫
S・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社、1980
繁田信一「殴り合う貴族たち」柏書房、2005年 
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
紀田順一郎「東京の下層社会:明治から終戦まで」新潮社、1990
小林丈広「近代日本と公衆衛生 都市社会史の試み」雄山閣出版、2001
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000
モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001


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