匠雅音の家族についてのブックレビュー    容赦なき戦争−太平洋戦争における人種差別|ジョン・W・ダワー

容赦なき戦争
太平洋戦争における人種差別
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著者:ジョン・W・ダワー 2001年(1987年)  平凡社 ¥1600−

 著者の略歴−1938年アメリカ、ロード・アイランド州生まれ。ハーバード大学で博士号取得。歴史学者。現在,マサチューセッツ工科大学教授〈歴史学〉。おもな著書〈邦訳〉に,「敗北を抱きしめて」〈2000年ピュリツアー賞受賞/岩波書店〉,「吉田茂とその時代」〈中央公論新社〉,「紋章の再発見」〈淡交社〉など。
 激しく闘われた太平洋戦争を、人種差別の観点から見たもので、教えられるところが多かった。
戦争中には欧米人にたいして、我が国でも「鬼畜米英」といった表現がなされ、また、アジア人にたいしては、人種的な蔑視が見られたのは周知の通りである。

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 第2次世界大戦は、世界大戦であるがゆえに、地球上のほぼすべての人種を戦争に巻き込んだ。
第1次世界大戦以降、戦争がかつての戦争とは違い、国家の総力戦となった。
第2次世界大戦では、総力戦がますます協調されて、国力のすべてをあげての戦いとなった。

 本書は、太平洋戦争には、日米の両者に人種的な偏見が絡んでおり、それが戦争を厳しく容赦なきものにしたという。
アメリカ人である筆者は、我が国の人種的偏見だけではなく、アメリカ側の人種的偏見をも分析の俎上にのせる。
その公平な視線は、「敗北を抱きしめて」で見せた手法とかさなる。
 
 アジア人の中にある勇敢さ、反抗心のシンボルとして、またつかの間ではあったが西洋と互角にわたりあう強さのシンボルとして、日本はアジア諸国の称賛を一身に浴びた。しかし大東亜共栄圏のリーダーを自任していた日本人は、かつて欧米人たちが行なったと同様な、多くの場合もっとひどい傲慢な態度をとるようになった。政治的抑圧、地域経済の支配、「日本化」プログラムの強行、住民に対する公然たる侮辱、反体制分子の拷問や処刑、現地労働者の酷使という具合で、特に現地労働者の死者数は1942年から45年の3年間で、数十万にも及んだほどである。共栄圏が存在したほんの短い期間に、何百万というアジアの民間人が生命を失ったと考えられる。P40

 我が国が、アジア諸国にインフラの整備などをおこない、戦後の独立戦争への地ならしを行ったという声がある。
結果としてみると、インフラの整備になっただろうが、それは日本国の植民行為のうえで必要だったからであり、現地から求められたものではなかった。

 小さな親切を押しつけて、大きな迷惑をかけたのが事実だろう。
しかも、小さな親切は、自分のための必要からだったとしたら、決して威張れたことではない。
「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」といった考え自体が、日本人による日本人のためのものであり、アジアの人のためのものではなかった。

 我が国は遅れた資本主義国として、増え続ける人口の処理に四苦八苦していた。
そこで近隣アジア諸国に白羽の矢をたて、自国の問題解決のために、アジア諸国に進出していったのが事実だろう。
明治のはじめには、3千万人そこそこだった人口は、戦争の時には7千万人を越えていた。
これでは国内事情が、逼迫するのは無理もない。

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 上記のような理由があるにせよ、ヨーロッパ戦線と太平洋戦争は大きく異なった、と筆者はいう。
それはドイツ人を同じ白人種と捉えていたから、人種的な対立という意識がおきなかった。
そのため、戦争の様相が違って表れたのである。

 戦場の男たちが敵の絶滅という考えに取り憑かれるのは理解できる。しかし日本人という敵に関しては、それが戦場からはるか離れた多くの男女にまで及び、単に敵の軍隊のみならず日本の民族、文化全体をも巻き込んでいったのである。こうした純然たる大量殺裁の姿勢がどこまで浸透していたか、はつきり断言することは難しい。というのは、いずれの側においても、殺人が最も手っとり早い方法と考える者が常に多数いたからである。アメリカの世論調査によれば、国民の10〜13パーセントは一貫して日本人の「絶滅」あるいは「根絶」を支持しており、同様の割合で日本敗戦後の厳しい懲罰を支持している(「目には目を」「処罰・拷問」等)。よく引用される44年12月の調査では、「戦争が終わったら、日本に対してどういう処置をとるべきだと思うか」という問いに対し、13パーセントの回答者が、「日本人の全員殺害」を希望し、33パーセントが国家としての日本の崩壊を支持している。P113

 人種的な偏見がはっきりしていたのは、ドイツ系のアメリカ人は拘禁されることはなく、日系アメリカ人の強制収容への拘禁だろう。
人種的な偏見があったから、戦争の帰趨がはっきりした後でも、アメリカ軍は捕虜をとろうとはせずに、日本人投降兵を射殺したという。

 日露戦争で日本人の能力は見直されてはいたが、多くの西洋人にとって、日本人は猿に近いものとしか認識されていなかった。
一部を除いて、日本人が西洋人と対等にやるとは考えていなかった。
だから、シンガポールの警備は手薄だったし、イギリス海軍のレパルスとプリンス・オブ・ウェールズが簡単に撃沈されたのだ。

 ゼロ戦が開発されても、西洋諸国はほとんど関心を持たなかったという。
白人と日本人には、根本的な能力の違いがある、そう考える人は戦後になっても多い。
ましてや、戦前には日本人を黄色い猿だ、と考えていたとしても無理はない。
しかし、敵に対する偏見をもった見方は、冷戦になるとそのままソ連にも適用された、と筆者はいう。
ガバン・マコーマックが「属国」で述べていることを、筆者も言っている。

 1951年初め、イギリス人との会話で日本の信頼性が問題になったさい、グレスは、日本人が他のアジア人に対して抱いている優越感を活用することにより、アメリカとイギリスは日本の忠誠を確実なものとするよう全力を尽くすべきであると提唱した。グレスが言ったように欧米の同盟国は、本質的に「アングロサクソンのエリートクラブ」であり、日本人がアジアの未開発の民衆よりもアングロサクソンとつきあう「社会的な威信」により強くひきつけられることが望ましかった。P510

 その後、我が国が世界で2番目の経済大国になるなど、西洋人は想像だにしなかったに違いない。
「敗北を抱きしめて」に先行する本書で、筆者は歴史を冷静に、しかも公平に見ている。
 (2009.1.17)
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参考:
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
石原里紗「ふざけるな専業主婦 バカにバカといってなぜ悪い」新潮文庫、2001
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993
田嶋雅巳「炭坑美人 闇を灯す女たち」築地書館、2000
モリー・マーティン「素敵なヘルメット 職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992
シェア・ハイト「なぜ女は出世できないか」東洋経済新報社、2001


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