匠雅音の家族についてのブックレビュー      自衛隊が危ない|杉山隆男

自衛隊が危ない お奨度:

著者:杉山隆男(すぎやま たかお) 小学館101新書  2009年 ¥700−

著者の略歴−1952年東京生まれ。一橋大学卒業後、読売新聞社を経て著作活動に入る。1986年に『メディアの興亡』(文芸春秋刊)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1996年、3年間に及ぶ自衛隊取材をまとめた『兵士に開け』(新潮社刊)で新潮学芸賞を受賞。1998年に続編となる『兵士を見よ』(新潮社刊)、2005年に『兵士を追え』(小学館刊)、2007年に『兵士に告ぐ』(小学館刊)、『兵士になれなかった三島由紀夫」(小学館刊)を刊行。小説に『日本封印』(小学館刊)、『汐留川』(文芸春秋刊)などがある。
 何かと問題視される自衛隊だが、「兵士に聞け」や「兵士を見よ」などで、自衛隊を見つめてきた筆者による警鐘の書である。
冒頭で、筆者は田母神氏の発言に違和感を感じるという。
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 思想・心情の自由は、誰にも保証されたものではあるが、それを自衛隊のトップが口にするのには、否定的である。
自衛隊員は命令で、自分の命を省みずに、戦闘地域に身を投じるものだ。
自分の命を国に捧げることは、自衛隊員になるときに、全員が宣誓させられているという。
軍隊は上からの命令で動く組織だから、命令に反する行動は許されない、と筆者はいう。

自衛隊の制服を着るということは、自ら不自由さを選びとることなのである。
 制服に腕を通し、武器を手にした時点で、彼らは一個人でも一私人でもなくなり、命令が絶対の、あえて言ってしまえば自衛隊という軍隊の、一個の駒となる。自由が保障されているふつうの国民とは一線を画すことになる。
 何しろ命令とあれば、実際問題は別として好むと好まざるとにかかわらず死地に赴かなければならないのだから、これほどの不自由さもないのである。P21

 
 一般隊員が、命令の前に何の抗弁もできないにもかかわらず、田母神氏は大臣からの辞職命令に従わなかった。
その結果、クビにされたわけだが、しかし、定年退職扱いで退職金もでた。
不自由さに逆らう風潮は、兵士のあいだにも蔓延しているのだそうだ。
 
 サラ金につかまった隊員を、上司が援助するために預金通帳を見せてくれというと、プライバシーを理由に拒否する。
それ以上突っ込むと、訴えるという。
<思想の自由>や<差別>を口にする田母神氏の言動とそっくりである。
通常の職業であれば、職場をはなれたら私人に戻り、各人の自由な時間であろう。

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 自衛官はそうではないという。
にもかかわらず、プライバシーの主張や、一般市民と同じ感覚が、自衛隊中に蔓延している。
そうでありながら、現場を知る兵士と、幹部たちとのあいだには、大きな溝ができているらしい。
それは、前著でも書かれていた。
そして、権利意識の蔓延をなげく筆者は、団塊の世代にその理由を求める。

 <造反有理><大学解体>を叫んで、武装闘争をおこなった団塊の世代は、大学を卒業するや体制側に見事に順応していった、という。
これは戦前の軍国少年から、民主主義へと変身した戦前の人間と同じだという。
そして、田母神氏は団塊の世代だというのである。
筆者は団塊の世代より4〜5歳若く、団塊の世代から大きな被害を受けたようだ。
どんな被害を受けたのだろか。

 田母神氏が団塊の世代だからという論はおくとしても、懲戒処分になる兵士がへってきたことや、凶悪事件が増えているという。
しかも、凶悪事件をおこすのは、ペーパー試験で成績のいい隊員が多いらしい。
そして、メールが大流行だという。
 
 (筆者が突撃命令もメールで送るようになると)多少茶化したつもりで言うと、中隊長は意外にも真顔でうなずくのだった。
「いや、試しに、この前、営内と言って、駐屯地の生活隊舎に寝泊まりしている隊員たちをメールで非常呼集かけたら、あっという間に揃ったんです」
 これはなかなかだなと思いましたよ、と言いながら、中隊長はまんざらでもない表情でつけ加えた。
「今度は中隊全員でやってみようと思っています」
 メールで、命令。
 十年後の自衛隊がそうなっていないとは誰も言い切れないのである。P160


 メールでの命令に、筆者は否定的であるが、そうだろうか。
スクリーン上でミサイルを打ち落とすのが、いまや最大の攻撃である。
攻撃がデジタルになれば、伝達手段もデジタルになるのは当然である。
メールも文書も、情報伝達手段として違いはない。
むしろ、この中隊長のほうが、柔軟である。
手持ちの部下で闘うのが軍師であり、部下の資質に合わせて、訓練したほうが良いはずである。
旧来の方法に拘っているのは、むしろ筆者ではないだろうか。

 しかし、本書がいう危なさで、本当に怖く感じたのは、最後のアメリカ軍との関係である。
アメリカ軍との関係は、いかなる権力も手が出せない。
汚職事件で自衛隊を調べた検察も、アメリカとの関係には手をださなかった。
海外進出が多くなってきた自衛隊は、アメリカとの共同行動をたてに、国民の手の届かないところへ行こうとしている。

 9.11の同時多発テロで、「テロとの戦い」がいつのまにか日米の合い言葉にされてしまって以降、自衛隊は、何ものかに急き立てられているかのようにあらゆる面で米軍との一体化を「再編」という言葉にまぎらせながら猛烈な勢いで推し進めている。
 センサー情報の共有を可能にしたり、特殊作戦群もその指揮下に入る陸上自衛隊の緊急展開部隊の司令部や航空自衛隊の戦闘部隊の司令部をそれぞれ座間と横田の米軍基地内におくなど、頭脳を一体化することと併せて、その動きは末端の部隊にまで及んでいる。<インターオペラビリティの向上>という表現で防衛自書にはしるされているが、<戦術、装備、後方支援、各種作業の実施要領などに閑し、共通性、両用性を持つこと>が部隊レベルで進められているのである。P180


 自衛隊に反対する人たちは、自衛隊を規制する法律をもちだすことが、自衛隊を認めることになってしまう。
だから、憲法に違反する自衛隊であるがゆえに、表だって自衛隊を規制できない。
世界第2位の軍隊ではない軍隊が、世界一の軍隊と共同歩調をとって、世界の警察となっていく。
法律の縛りのない自衛隊という軍隊が、アメリカ軍という本物の軍隊と共同歩調をとる。
これこそ恐ろしいことだ。

 筆者は、憲法で自衛隊に縛りをかける、つまり自衛隊を合憲化することを示唆している。
しかし、自衛隊は本当に戦えるのだろうか。
いざ開戦となったら、隊員たちは一目散に逃げてしまうのではないだろうか。
それはそれで良いと思うのだが…。    (2009.5.12)
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参考:
石原寛爾「最終戦争論」中公文庫、2001
多川精一「戦争のグラフィズム」平凡社、2000
レマルク「西部戦線異常なし」レマルク、新潮文庫、1955
ジョージ・F・ケナン「アメリカ外交50年」岩波書店、2000
アミン・マアルーフ「アラブが見た十字軍」筑摩学芸文庫、2001
アンソニー・ギデンズ「国民国家と暴力」而立書房、1999
戸部良一ほか「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」ダイヤモンド社、1984
田中宇「国際情勢の見えない動きが見える本」PHP文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
ウイリアム・ブルム「アメリカの国家犯罪白書」作品社、2003
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社、2001
多川精一「戦争のグラフィズム 「FRONT」を創った人々」平凡社、2000
秦郁彦「慰安婦と戦場の性」新潮選書、1999
佐藤文香「軍事組織とジェンダー」慶応義塾大学出版会株式会社、2004
別宮暖朗「軍事学入門」筑摩書房、2007
西川長大「国境の超え方」平凡社、2001
三宅勝久「自衛隊員が死んでいく」花伝社、2008
戸部良一他「失敗の本質」ダイヤモンド社、1984
ピータ・W・シンガー「戦争請負会社」NHK出版、2004
佐々木陽子「総力戦と女性兵士」青弓社 2001
菊澤研宗「組織の不条理」ダイヤモンド社、2000
ガバン・マコーマック「属国」凱風社、2008
ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」岩波書店、2002
サビーネ・フリューシュトゥック「不安な兵士たち」原書房、2008
デニス・チョン「ベトナムの少女」文春文庫、2001
横田正平「私は玉砕しなかった」中公文庫、1999
読売新聞20世紀取材班「20世紀 革命」中公文庫、2001
ジョン・W・ダワー「容赦なき戦争」平凡社、1987
杉山隆男「兵士に聞け」新潮文庫、1998
杉山隆男「自衛隊が危ない」小学館101新書、2009
伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」新潮文庫、1969
田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001年
ジェリー・オーツカ「天皇が神だったころ」アーティストハウス、2002
原武史「大正天皇」朝日新聞社、2000
大竹秀一「天皇の学校」ちくま文庫、2009
ハーバート・ビックス「昭和天皇」講談社学術文庫、2005
片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003
浅見雅男「皇族誕生」角川書店、2008
河原敏明「昭和の皇室をゆるがせた女性たち」講談社、2004
加納実紀代「天皇制とジェンダー」インパクト出版、2002
繁田信一「殴り合う貴族たち」角川文庫、2005
ベン・ヒルズ「プリンセス マサコ」第三書館、2007
小田部雄次「ミカドと女官」恒文社、2001
ケネス・ルオフ「国民の天皇」岩波現代文庫、2009

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