著者の略歴−オーストラリア国立大学名誉教授。1974年ロンドン大学博士号取得。日本と東アジアの政治、社会問題を歴史的視点で幅広く把握しようと研究を続けてきた。リーズ大学(英)、ラ・トロープ大学(豪)、アデレード大学(蒙)で現代日本史および日中、日韓、日米関係を中心に教え、1990からオーストラリア国立大学アジア太平洋研究所教授。1962年の日本留学以来ほば毎年来日し、東京滞在時にはよく皇居の周りをジョギングする。ネット雑誌「Japan Focus」のコーディネーターもつとめる。 今さらオーストラリア人から、我が国はアメリカの属国だと言われなくても、それは国民の全員が知っている。 筆者は、最近とみに属国性が強まったといい、それは小泉慎一郎が首相を務めていた時代に、とりわけ加速されたという。
郵政民営化にしても、巨額な郵便貯金や保険を、市場開放によってアメリカに差し出すためだ、という批判はあった。 もちろん、郵政民営化はアメリカからの要求だったから、批判は当たっているだろう。 本書が鋭いのは、マッカーサーが天皇を残したのも、アメリカのためだという当然のことを指摘していることだ。 日本をアメリカの世界戦略に組み込むためには、日本は天皇を頂いた特別な国であり、他のアジア諸国とは違うと、日本人に思わせることが大切だった。 日本をアメリカの支配下に置くためには、日本とアジア諸国を分断し、日本をアジアから引き離し、日本のアジア指向をつみ取ったほうが良かった。 戦争直後の1945年当時、被害国であるアジア諸国は、日本と仲良くしようとは思わなかっただろう。 しかし日本が、アジアとの協調を欲するよりも、日本人自身に天皇という特別意識をもたせれば、アジアには接近しないとアメリカが考えたのだ。 だから、マッカーサーは他国にない天皇を温存したのだという。 ベネディクトは、長期にわたって日本を米国に従属させるためには、日本文化の基底には、言葉にはできない、とりわけ非アジア的な天皇中心の「文化パターン」がある−という考えを広めると効果があると結論づけた。日本が心理的にアジアと距離をおけば、決してアジア諸国と共同歩調はとれないだろうし、米国に依存し続けるはずだと分析したのだ。米国にとって、日本が敗戦後もこの神話に固執するよう仕向けるほうが占領政策上得策だった。なぜなら、アジアを見下して同胞とみなさない日本はアジア諸国と連携できないだろうし、結果的に米国に依存し続けるに違いないからである。心理戦を研究したベネディクトの成果が初めて出版されたのは、天皇を統合の象徴とする新憲法が採択されたのと同じ年であった−前者は戦後秩序の心理的基礎となり、後者は法的基礎となった。P30 実に鋭い指摘である。 天皇を持ちあげて、日本人の自尊心をくすぐりながら、しかも日本人に感謝されつつ、アメリカの統治を続けるのは、きわめてうまい支配である。 マッカーサーが天皇を残した理由は、決して日本のためではなく、アメリカのためだというのは支配の常識だろう。 にもかかわらず、お目出たい日本人は、天皇を残してくれたアメリカ人に感謝さえした。 上記の指摘は、社会科学的な思考をする者にとっては、当たり前で驚きはない。 本書が鋭いのは、最近の日本の保守層が、二律背反の命題を抱え始めているという指摘で、それが占領期に敷設されたという点である。 保守派はナショナリストだというのが常識であり、いままで保守派は反米愛国だった。 国家・天皇を愛し、先祖信仰から靖国崇拝へと、連なっていた。 しかし、小泉たちから風向きが変わってきたと、本書は言う。
そこには今までの保守派と違って、靖国参拝を続けながら、より一層アメリカにすり寄って見せた。 反米愛国から、親米愛国になった。 中曽根ですら靖国参拝を躊躇したにもかかわらず、小泉は強行したうえに、自己正当化して中国や韓国との関係を悪化させた。 それでいながら、「ラブ ミー テンダー」を歌うという、アメリカ・フリークを演じた。 ナショナリストは自国の歴史に拘るものだが、他国に媚びるようなことはしない。 靖国参拝とアメリカ追従は、完璧な二律背反だと本書は言う。 そのとおりだろう。 我が国をアメリカの属国にする行動と、靖国参拝は両立しない。 本書は、我が国がアメリカにとってATMだ、とブッシュが言っているという。 アメリカの属国になる理由は、北朝鮮の脅威であろう。 北朝鮮が攻めてきたら、アメリカに守ってもらわざるを得ない。 だから、アメリカにすり寄るのだと思えば、納得はできるが、次のような指摘は考えさせる。 東アジア地域内外の関係は北朝鮮を中心にして決定されてきた。「北朝鮮の脅威」がなかったら日本人は「対テロ世界戦争」にほとんど関心を示さなかっただろうし、米国がイラクやその他の国で米国の傀儡政権を樹立しょうと軍事財政両面で日本の支援を要求してきたとしても、それを日本が受け入れたとは思えない。日本は米国に服従することで周辺諸国の信用を失って孤立しているが、それでも、北朝鮮への恐れと嫌悪から米国の世界戦略を支持する意外に道はないと考えている。 だが北朝鮮を支点とする均衡に頼る限り、米国の対アジア戦略は不安定にならざるをえない。仮に「北朝鮮の脅威」が解消したとすると、米政府は米軍の日韓駐留を正当化する何かほかの根拠を考え出さなければならなくなる。同時に、北朝鮮の脅威で正当化されていたミサイル防衛も再考されるだろう。この地域から米軍の影響がなくなれば、東アジアは急速に「ヨーロッパ」型野合の方向へ進み、政治・社会・経済にも大きな影響があるかもしれない。つまり米国にとって、北朝鮮の政策あるいは体制の転換という短期的目標を達成しょうとすると、東アジアを世界帝国に統合しょうとする長期的目標が害なわれることになる。米国が世界帝国の枠組みの中で東アジアにおいてもその帝国を維持しょうと考えるかぎり、逆説的に、米国にとって金正日が政権を維持し続けるほうが利益になっているのである。P178 英仏両国より大規模な陸軍を有し、世界第二位の海軍を維持し、イスラエルを上回る空軍を持っている我が国が、アメリカの分隊になれば、アメリカは都合がいいだろう。 しかも、小泉軍曹と呼ぶブッシュであれば、我が国は離すことはできない。 冷戦が終わって、ソ連の脅威がなくなったら、軍縮が進むかと思ったら、かえってアメリカ軍は増強された。 北朝鮮が崩壊しても、同じように日本はアメリカの属国性が強くなりこそすれ、独立国となることはないだろう。 当たっているだけに、悲しいかな、これが本書の読後感である。 親アメリカと靖国参拝は両立しないだろうから、今後の保守派は、一体どんな信条をかかげてくるのだろうか。 (2009.1.5)
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