匠雅音の家族についてのブックレビュー     ヤクザの文化人類学−ウラから見た日本|ヤコブ・ラズ

ヤクザの文化人類学
ウラから見た日本
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著者:ヤコブ・ラズ   岩波書店 1996年   ¥2900−

 著者の略歴−文化人類学,記号論,演劇論.1944年生れ。テル・アヴィヴ大学卒業.来日し禅寺で修行するかたわら早稲田大学で博士号を取得。現在,テル・アヴイヴ大学東アジア研究科教授(ヘブライ大学併任教授).東京外国語大学客員教授として度々来日。日本の演劇,とくに民俗芸能や大道芸,ゴゼなどの周縁的文化に関心を寄せ,研究を続ける。日本文化論,禅研究,文化人類学に関する著作を発表するほか,漱石,遠藤周作,俵万智など日本文学の作品を英語,ヘブライ語に翻訳紹介する。イスラエルきっての知日派。
 ヤクザときけば、日本人でも身構える。
イスラエル人の筆者は、日本のヤクザに入り込み、自ら体験してきた。
筆者は「ヤクザ、わが兄弟」という、面白いノンフィクション小説も書いている。
日本人でも難しい、いや、日本人ではなかったから書けた、そう思える本である。
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 日本のヤクザは、一見してそれと判る姿格好をしている。
また、ヤクザに関する記事が、雑誌などにも掲載されている。
こんなことはマフィアでは、考えられない。
マフィアは市井の人と同じ格好をして、表向きはよき市民の顔をしている。
しかし、ヤクザは違う。

 ヤクザは博徒とテキ屋にわかれるが、今日では区別が不明になっているらしい。
本書の前半は、出版物や映画などから、ヤクザのイメージを抽出してくる。

 ヤクザ映画は善いヤクザと悪いヤクザを描いている。悪いヤクザは映画に登場するシカゴのギャングのイメージで創り上げられている。服装や態度(たいてい彼らはスーツを看ている)、葉巻、言葉遣いなど、表向きは西洋的である。他方、善いヤクザは、服装も振る舞いも価値観も見るからに日本的で、着物かハッピを着て地元の祭りに参加したり手伝ったりする。彼は時代遅れの人物であり、古い世界の終わりを象徴している。だからこそ死ななければならないのだ。彼はあらん限りの我慢をする。親分なら悪人どもの挑発にのらないよう子分を引き止め、穏やかな話し方をし、温和で、血を分けた実の父親のような存在である。P46

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 一面、ヤクザは日本人のあこがれる道を歩んでおり、日本人そのものである。
それでいながら、逸脱者としてみられ、なりたくない種類の人間でもある。
ヤクザの心性や行動を、つまびらかにしていく。
そして、ヤクザの組織に、客員として迎えられた筆者は、ヤクザの日常に密着して調査を進めていく。

 ヤクザもきちんと働いており、祭りなどを追って露天や屋台で商売をしている。
そして、むずかしいショバ割りをこなしていくのも、ヤクザたちである。
区役所などが取り仕切る祭りは、たしかに安全ではあろうが、無味無臭で面白味に欠ける。
ヤクザたちは得体の知れない魅力を、祭りの場にたちまちのうちに作りだす。

 1980年代までは、我が国はヤクザに寛容だった。
ヤクザは表だって活動できた。
それは、おそらく我が国が前近代社会の尻尾を、残した時代だったのだろう。
そして、そのあたりを境にして、我が国が近代化を完了しつつあった。
その後は、逸脱者に頼らなくても、支配できるようになったのだろう。
だから、ヤクザを切り捨てにかかったに違いない。

 貧者によって行使される暴力が、しばしば声高に非難される。
しかし、じつは貧者の暴力より、法人経済のほうが暴力的であることは、ほとんど社会的事実だ、というS・ショウハムの言葉を引いている。
ヤクザは脅迫・恐喝などの犯罪には、主要な割合をしめているが、殺人や強盗にかんしては、かならずし多くないという。

 ヤクザをとりまく状況は隔世の感がする。日本におけるヤクザ世界の位置だけでなく、ヤクザ世界そのものがその間に大きく変化を遂げた。その意味においては、本書で述べたことの多くがすでに過去の歴史となっている。ヤクザは第2次大戦後や、60年代の左翼闘争の時代には、内外の敵に対するため当局と協力しあう立場にあった。70年代、80年代においても、日本社会においては、彼らは少なくとも許容される存在であったのが、現在では状況は一変している。
 いまや法が彼らに厳しく敵対している。1991年以降、暴力団対策法が容赦なく適用され、散りぢりになった組もたくさんある。P291


 ヤクザといえども日本人である以上、日本社会に生きている。
日本の社会の変質によって、職人たちが変質したり、消滅していったように、ヤクザも姿を変えるのであろう。
しかし、ヤクザ的な心性に、日本人があこがれをもつのは、続いているし消滅はしない。
とすれば、ヤクザが変質することはあっても、消滅することはないだろう。

 外国人だから書けたヤクザ論であり、「ヤクザ、わが兄弟」もいっしょに読むと、日本人のメンタリティがよくわかる。    (2009.2.19)
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参考:
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP新書、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影 福祉に構造改革を」春秋社、2002
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
吉田おさみ「「精神障害者」の解放と連帯」新泉社、1983
ビルギット・アダム「性病の世界史」草思社、2003
松本彩子「ピルはなぜ歓迎されないのか」勁草書房、2005
榎美沙子「ピル」カルチャー出版社、1973
ローリー・B.アンドルーズ「ヒト・クローン無法地帯」紀伊国屋書店、2000
沢山美果子「出産と身体の近世」勁草書房、1998
ミレイユ・ラジェ「出産の社会史」勁草書房、1994
ジュディス・ハーマン「心的外傷と回復」みすず書房、1999
小浜逸郎「「弱者」とは誰か」PHP研究所、1999
櫻田淳「弱者救済の幻影」春秋社、2002
松本昭夫「精神病棟の二十年」新潮社、1981
ハンス・アイゼンク「精神分析に別れを告げよう」批評社、1988
小沢牧子「「心の専門家」はいらない」洋泉社、2002
熊篠慶彦「たった5センチのハードル」ワニブックス、2001
正村公宏「ダウン症の子をもって」新潮文庫、2001 
高柳泰世「つくられた障害「色盲」」朝日文庫、2002
加藤康昭「日本盲人社会研究」未来社、1974
北島行徳「無敵のハンディキャップ」文春文庫、1997
アリス・ミラー「闇からの目覚め」新曜社、2004
御木達哉「うつ病の妻と共に」文春文庫、2007

赤松啓介「非常民の民俗文化」ちくま学芸文庫、2006
黒岩涙香「畜妾の実例」社会思想社、1992
酒井順子「少子」講談社文庫、2003
木下太志、浜野潔編著「人類史のなかの人口と家族」晃洋書房、2003
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」講談社学術文庫、2000
P・ウォーレス「人口ピラミッドがひっくり返るとき」草思社、2001
鈴木了司「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」集英社文庫、1999
速水融「歴史人口学で見た日本」文春新書、2001
中山二基子「「老い」に備える」文春文庫 2008

フィリップ・アリエス「<子供>の誕生」みすず書房、1980
菊田幸一「日本の刑務所」岩波新書、2002
マイケル・ルイス「ネクスト」アスペクト、2002
小田晋「少年と犯罪」青土社、2002

桜井哲夫「近代の意味:制度としての学校・工場」日本放送協会、1984
アマルティア・セン「貧困と飢饉」岩波書店、2000
佐藤常雄「貧農史観を見直す」講談社現代新書、1995
清水勲「ビゴー日本素描集」岩波文庫、1986
イザベラ・バード「日本奥地紀行」平凡社、2000


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