匠雅音の家族についてのブックレビュー    家族をめぐる疑問|ダイアナ・ギティンス

家族をめぐる疑問
固定観念への挑戦
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著者:ダイアナ・ギティンス   新曜社 1990年 ¥2400−

著者の略歴−1946年アメリカ合衆国生まれ。1961年に英国へ移住し、エセックス大学を卒業後、同校およびプリマス・ポリテクニックで社会学(女性学)を講じていたが、現在はフリーランスのライター。
 家族は自然にできあがるものではない。
ましてや、家族構成員は平等でもない。
家族とは、年齢や性別、階級にもとづく権力関係だという。
本サイトは、この筆者の主張を肯定する。
家族はその時代の産業や権力者たちによって、形作られる固有の集団であり、その形態は時代や地域によって様々だった。
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家族をめぐる疑問

 マードックが「社会構造」で言うように、家族の形は、核家族、複婚家族、拡大家族と家族形態は様々だった。しかも、子供を誕生させるのは、一対の男女だけしかできないが、子供を育てるのは必ずしも産みの親たちではない。
生殖を目的とした男女関係が、1対1でしか成り立たないことから、家族も一対の男女とその子供たちという核家族を標準としたがるが、核家族だけが標準ではなかった。

 本書は、農業を主な産業とする時代から、近代の工業社会へと転じる時期を中心に、家族の変化をとらえている。
前産業社会では、死亡率が高かったし、人口の移動も少なかった。
農業家族の中から使用人として、奉公にでる例が多く見られたが、賃金労働の普及は労働者階級世帯の年齢構成を変化させたという。

 18世紀まで、家族とは世帯内にいる全員を、治める家長の権威だったという。
ここではもちろん使用人や徒弟をも含んだ人々である。
だから、もともと家族とは、父親の権威と権力を前提とした、不平等な制度である。
これが西欧の家族だったという。そうだろう、家族とは戸主の所有物だったのだ。
 
 何世紀もの間、男性は、妻や子に暴力を行使する権利を法的に与えられていた。これが家父長制的な権威を基本的に支えてきたと考えられる。家庭内の暴力から女性や子どもを守る法律が最近制定されたが、法的機関は、妻や子に対する家庭内の暴力や強姦事件に「干渉」したり、それを起訴したりすることに、依然としてきわめて消極的である。そうすることは「プライバシー」の侵害だとみなされるだけでなく、父性の概念に備わり、家族のイデオロギーに秘められている家父長制的な権威への挑戦だと理解されている。両性間の、そして大人と子どもの問の、権力と権威の関係は、社会のあらゆるレベルに、最も単純な家庭からより複雑な社会的、政治的団体のレベルにまで浸透してきたし、現在もそのままである。P61

と言っている。
大人と子供のあいだも、権力関係だと捕らえることは、我が国ではあまり見ない見方である。
しかし、この視点があるから、女性の自立に続いて、子供の自立が語られるのだ。

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 本書の書かれた20年前と、その事情は現在でも変わっていない。
家父長制がいかに権威的だったとしても、家族の構成員たちは父親に従い、依存することが生きる唯一の方法だった。
農業を主な産業とする社会では、家父長制の支配する家族以外には、生きていく場所がなかったのだ。
だから、誰もが家父長に依存せざるを得なかった。

 男女の性的な構造は、1対1的にしか向き合えない。
だから、一夫一婦の関係が普遍的だと思いがちだが、全世界では一夫一婦制をとる婚姻は、10パーセントに過ぎない。
多くの社会では、一夫多妻や一妻多夫が普通なのだ、という。
結婚とは労働や財産によって行われたのであり、愛情に基づいて男女が結びつくことはあっても、愛情によって結婚することはなかった。
 
 愛情にしたがって結婚したら、生きていけなくなったのが、前産業社会だったのである。
女性も労働力だったから、女性も男性に互して働き、そして酒も飲んだ。
その結果、離婚も多かったし、核家族ばかりとは言えなかった。
それが、近代に入って中産階級が台頭してくると、家庭の価値が強調された。

 19世紀の中産階級の人びとは、家庭こそ至福の場であること、家族は神聖であること、女性の居場所は家庭にあること、清潔さや衛生や注意深い育児が重要であることなどを非常に熱心に説いた。だが、その当の人びとが、自分たちの家事労働という重荷の多くを労働者階級の使用人に背負わすことができたというのは、皮肉なことである。中産階級の「家庭の天使」は、家族と家庭の管理者としての役割にその女らしさの本質があり、「生まれつき」私的で母性的であるので、現実の家庭の苦役を他人に任せるという倫理に疑問を感じることは稀であった。この女性たちの仕事は −夫が比較的裕福であることに頼って−主として世帯の管理や子どもや使用人の監督と考えられていた。P206

 その後、中産階級が社会の主流になり、彼等の家族イデオロギーが正しいものとなった。
その結果、近代の産物、たとえば学校や職場、はては軍隊まで、すべて中産階級のイデオロギーで染め上げられた。
学校では、権威に従うことや良妻賢母が教えられたし、職場は男性の独占する場所となった。
 
 家庭は常に社会制度であり、社会全体から見るとその一部をなすものであるのだから、家庭が私的なものであるとか、仕事、競争、不安感という砂漠の真ん中にあって、社会から離れた一種のオアシスであるとか主張するのは完全に誤りだということである。確かに、「仕事」と「家族」の概念を完全に切り離されたカテゴリーや領域として扱うのは、誤りである。P281

 仕事の場を職場とし、家庭は憩いの場と考えがちだが、それは最近の話である。
農業が主な産業だった時代には、仕事場と憩いの場は一致しており、仕事だけの場である職場はなかった。
とすれば、家族も社会の影響下にあるのは当然である。
現代社会の支配のイデオロギーは、非常に強くて、家族をあたかも自然の産物であるかのように、人々に教え込んでいる。     (2009.11.27) 
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参考:
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岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
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黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
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S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
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上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
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ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004

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菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
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伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

マイケル・アンダーソン「家族の構造・機能・感情」海鳴社、1988

匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997

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