匠雅音の家族についてのブックレビュー    「新しい家族」のつくりかた|芹沢俊介

「新しい家族」のつくりかた お奨度:

著者:芹沢俊介(せりざわ しゅんすけ)  晶文社、2003年   ¥1700−

 著者の略歴−1942年、東京に生まれる。上智大学卒。評論家。教育、家族、少年問題などを、既存のスタイルにとらわれることなく論じ続けている。主な著書『引きこもるという情熱』(雲母書房)、『母という暴力』(春秋社)、『ついていく父親』(新潮社)、『子どもたちの生と死』 (筑摩書房)、『子どもたちほなぜ暴力に走るのか』 (岩波書店)など。

 新しい家族と題されているが、内容は少しも新しくない。
タイトルに惹かれて買ったが、すでに60歳を過ぎている筆者に、新しい観念を求めるほうが無理なようだ。
ネットで買うのは、内容を見ることができないので外れも多い。
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 どうして高齢者たちは、自分は正常だと思えるのだろうか。
時代の変化は、誰にでも同じように訪れている。
にもかかわらず、筆者は自分は正常で、最近の若者はおかしいという発想である。
自分が正しい根拠はどこにあるのだろうか。
年寄りは時代とずれることに、相当に自覚的でないと、誇大妄想と言われてしまうだろう。

 人は人、自分は自分。こうした命題が私たちの生きる倫理となりはじめたことを実感する。自他のあいだが大きく隔てられ、それゆえ個人にとってきわめて解放度の高い社会が到来したのである。だが、個人にとってきわめて解放度の高い社会でありながら、同時にこの社会は、きわめて孤立感を抱きやすい社会でもあるのだ。
 このような矛盾はどこからくるか。高度に成熟した資本主義の社会は、個人を極限にまで解放した。しかし個人が受け取り、享受することを許されたその解放性ほ、あくまで恣意的な自由、要するに存分にわがままにふるまうことの自由でしかないからだ。P21


 解放と孤立=孤独は、決して矛盾ではない。
自由が孤独と背中合わせであるのは、当然のことだ。
解放されない社会とは、共同体の保護がある社会であり、差別が跋扈する社会である。
孤独は個人を自由にしてくれた結果である。 

 解放と孤立を同時に受け入れない筆者の視点では、体制側の人間と変わらない結論になる。
渋谷で遊ぶ子供たちは、狂っておりおかしい。
渋谷で遊んでいる子供たちだって、まったく通常であるにもかかわらず、筆者は自分が自分に負けているという。
しかし、自分が自分に勝つというのは、どういうことだろうか。
筆者はおそらくまじめな人なのだろう。
誠実さは伝わってくる。

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 愚かな誠実さは、始末に悪い。
旧来の左翼の悪弊が抜けず、世界は自分を中心に回っている思考である。
時代と共に生きている意識が筆者にはない。
きわめて自己中心的な発想である。
同じ筆者の「母という暴力」は、当サイトで評価した。
しかし、2年たって上梓されたのが本書だとは、とてもがっかりした。

 性経験は何なのかと考えていきますと、好意、友情、恋愛の具体的な確認行為という意味しかいまや持っていないのではないか。好意、友情、恋愛の具体的な確認行為ではあっても、それ以上の重さを持たないのではないか。性経験を持った相手を特定の人として一方が見なしたとしても、もう一方もまた同じように見なすであろうということは、現実にはもはや期待できないのではないか。性体験というのは、好意や友情や恋愛の具体的な確認行為にすぎず、かならずしもその次の段階にまでいく必要はない。性経験は、恋愛感情を結婚へ上昇させる力をもう持っていないのではないか、そう考えたくなるのです。P152

 性交体験と結婚は、元来がまったく別のものだった。
村中の男性やりまくった女性が、隣村に嫁ぐときは、きりりとした顔で結婚したのだ。
そして、彼女の相手をした男性たちも、黙って彼女を見送ったのである。
性交と結婚の分離が、解放されていなかった社会での、人間関係のあり方だった。
性交と恋愛感情も、実は別物である。
性交に必要なのは、健康な肉体であり、恋愛感情ではない。

 性交体験と結婚とが結びついたのは、近代のほんの短い時代の出来事である。
ましてや恋愛などというものが、性交と結合して語られるのは、本当に限られた人たちの間の話だった。
筆者は自分の性交体験が結婚に結びついたので、誰でもそれが正常であり、ほかの誰もがその道をたどるべきだ、と信じているようだ。
   
 先日、二十代前半の男女十数人と、「子どもを産む」ということをテーマに、二時間ばかりの話し合いを持ちました。(中略)女性はというと、もっとラディカルです。要するに子どもを産むということ自体考えていないというのです。「子どもを産むことに私は罪悪感を持っています」、そう話す女性もいました。子どもを産むことに対する考えとして女性の場合、こういうところまできているのです。女性は子どもを産むことに対しては消極的なのです。男性は女性よりも、自分が子どもを持ち、子どもを育てるということについて積極的です。しかし、この積極性も、自分がやりたいことの優先順位から考えると筆頭にあるわけではない。P154

 情報社会では、「子どもを産む」ことに対する優先順位は、低いのが当然である。
農耕社会では子供は労働力だったから、子供は必要不可欠だった。
が、情報社会では子供は不要である。
不要な子供を産むことと、どうしてもいま自分がやっていること、及びこれから自分がやりたいことと比較することになる。
そのうえで、子供を持つか否かを考えるのは、むしろ責任ある姿勢である。
 
 その一方で幼形成熟は進んでいます。子どもたちのセクシャルなことへの関心はどんどん早期化しています。性的な成熟は進んでいるのに、ますます社会はそれを成熟と認めようとしなくなっているのです。そのため幼形成熟であることと社会が求める成熟像とのあいだの矛盾がとてつもなく大きくなってきているのが現状です。P170

といって、「できちゃった婚」を批判し、結局、若者の性行動を認めようとしない。
そして、筆者は家族の消失点が見えたという。
対なる男女が同居する家族が終わって、今後の新たな家族は、「グループホーム」だという。

 吉本隆明氏を持ち出すまでもなく、家族論は社会の基底を形作るもである。
それにもかかわらず、家族の新しい形が、特殊な人間の集団であるグループホームだというのは、社会的な理論の構造がまったく理解できていない。
残念ながら、筆者の視点からは「新しい家族」は生まれてこないだろう。 
(2005.05.11)
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参考:
映画「オリバー ツイスト 2005
黒沢隆「個室群住居」住まいの図書館出版局、1997
末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994
湯沢雍彦「明治の結婚 明治の離婚」角川選書、2005
越智道雄「孤立化する家族」時事通信社、1998
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992年
岡田秀子「反結婚論」亜紀書房、1972
大河原宏二「家族のように暮らしたい」太田出版、2002
J・F・グブリアム、J・A・ホルスタイン「家族とは何か」新曜社、1997
磯野誠一、磯野富士子「家族制度:淳風美俗を中心として」岩波新書、1958
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
S・クーンツ「家族に何が起きているか」筑摩書房、2003
賀茂美則「家族革命前夜」集英社、2003
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書、2001
匠雅音「核家族から単家族へ」丸善、1997
黒沢隆「個室群住居:崩壊する近代家族と建築的課題」住まいの図書館出版局、1997
E・S・モース「日本人の住まい」八坂書房、1970
エドワード・ショーター「近代家族の形成」昭和堂、1987
ジョージ・P・マードック「社会構造 核家族の社会人類学」新泉社、2001
S・ボネ、A・トックヴィル「不倫の歴史 夢の幻想と現実のゆくえ」原書房、2001
石坂晴海「掟やぶりの結婚道」講談社文庫、2002
マーサ・A・ファインマン「家族、積みすぎた方舟」学陽書房、2003
上野千鶴子「家父長制と資本制」岩波書店、1990
斎藤学「家族の闇をさぐる」小学館、2001
斉藤学「「家族」はこわい」新潮文庫、1997
島村八重子、寺田和代「家族と住まない家」春秋社、2004
伊藤淑子「家族の幻影」大正大学出版会、2004
山田昌弘「家族のリストラクチュアリング」新曜社、1999
斉藤環「家族の痕跡」筑摩書房、2006
宮内美沙子「看護婦は家族の代わりになれない」角川文庫、2000
ヘレン・E・フィッシャー「結婚の起源」どうぶつ社、1983
瀬川清子「婚姻覚書」講談社、2006
香山リカ「結婚がこわい」講談社、2005
山田昌弘「新平等社会」文藝春秋、2006
速水由紀子「家族卒業」朝日文庫、2003
ジュディス・レヴァイン「青少年に有害」河出書房新社、2004
川村邦光「性家族の誕生」ちくま学芸文庫、2004
信田さよ子「脱常識の家族づくり」中公新書ラクレ、2001
菊地正憲「なぜ、結婚できないのか」すばる舎、2005
原田純「ねじれた家 帰りたくない家」講談社、2003
A・柏木利美「日本とアメリカ愛をめぐる逆さの常識」中公文庫、1998
ベティ・フリーダン「ビヨンド ジェンダー」青木書店、2003
塩倉 裕「引きこもる若者たち」朝日文庫、2002
サビーヌ・メルシオール=ボネ「不倫の歴史」原書房、2001
棚沢直子&草野いづみ「フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか」角川ソフィア文庫、1999
岩村暢子「普通の家族がいちばん怖い」新潮社、2007
下田治美「ぼくんち熱血母主家庭」講談社文庫、1993
高木侃「三くだり半と縁切寺」講談社現代新書、1992
加藤秀一「<恋愛結婚>は何をもたらしたか」ちくま新書、2004
バターソン林屋晶子「レポート国際結婚」光文社文庫、2001
中村久瑠美「離婚バイブル」文春文庫、2005
佐藤文明「戸籍がつくる差別」現代書館、1984
松原惇子「ひとり家族」文春文庫、1993
森永卓郎「<非婚>のすすめ」講談社現代新書、1997
林秀彦「非婚のすすめ」日本実業出版、1997
伊田広行「シングル単位の社会論」世界思想社、1998
斎藤学「「夫婦」という幻想」祥伝社新書、2009

高倉正樹「赤ちゃんの値段」講談社、2006
デスモンド・モリス「赤ん坊はなぜかわいい?」河出書房新社、1995
ジュディス・リッチ・ハリス「子育ての大誤解」早川書房、2000
フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980


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