匠雅音の家族についてのブックレビュー    弊風一斑−畜妾の実例|黒岩涙香

弊風一斑  畜妾の実例 お奨度:

著者: 黒岩涙香(くろいわ るいこう) 社会思想社、1992年   ¥466−

 著者の略歴−1802〜1920年。高知県の生まれ、新聞記者、翻訳家。大阪で英語を学び、のちに上京して慶應義塾などに入ったが、中途退学して文章と演説に熱中する。1915年新聞事業の功労者として、勲三等に叙された。

 巻末に掲載された伊藤秀雄氏の解説によると、本書の成立は次のようである。

 本書は、明治の異色の日刊紙「萬朝報」(よろずちょうほう)に、明治31(1898)年7月7日から9月27日まで連載された「弊風一班蓄妾の実例」510例を収録したものである。当時、男子の玩弄であった妾に対して、同情を披瀝し、妾を持つ男子に反省を促したものであった。現在なら名誉毀損で問題になるこの記事の発表者は、「萬朝報」を主宰する黒岩涙香であった。P187
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弊風一斑 蓄妾の実例

 本書があげる男性たちは、当時としたら立派も立派、みな男爵や博士など有名人ばかりである。
当時の有名人たちが、金にまかせて、妾を囲った。
その事実を暴露している。本書は男性への警告と同時に、女性たちの地位向上を目指したものだったろう。

 筆者がいうように、妾は男子の玩弄だったか。
おそらくそうだったであろう。
しかし、妾だけではなく、正妻も玩弄だったのだが、
時代はそれをまだ教えない。
明治維新から約30年たって、江戸の世代は一巡りし、
武士の没落も一段落していたはずである。
そして、新興商人階級の台頭が始まっていた。

 本書に登場するのは、現在の我々におなじみの人物たちである。
誰でも知っている人を拾ってみると、犬養毅、森鴎外、原敬、北里柴三郎、益田孝、山県有朋、井上馨、伊藤博文、渋沢栄一、黒田清輝などなど、枚挙にいとまがない。
こうした新興階級の男性が、金にものをいわせて、女性を囲ったのは事実だろう。
黒田清輝の例を引いてみる。

 麹町区平河町6丁目4番地、子爵黒田清綱嗣子清輝(33)は誰れも知る裸体画の大熱心家なるが、彼れは裸体画の好模型を求むるを口実とし数次柳橋に遊び、ついに元柳町30番地の芸妓山田屋おたかの娘照子こと乾さく(18)といえる美人を選みて落籍させ、昼夜の別ちなく裸体の儘に傍に引附けいたるが、漸くにして一個の裸体画を作り上げこれを白馬会に出品せり。しかしてさくは今尚妾として相州逗子の別荘に置かる。P140
          
 時代の境目は、階級間移動が激しく、貧富の差が開きやすい。
商品経済の普及は、農民の生活に、現金を必要とさせた。
江戸時代なら、女性は肉体労働者として、田や畑で働けた。
しかし、農村経済の解体によって、農民は都市に出てこざるを得なくなった。
女性にとって都市での仕事は、娼妓や飲食店などの、サービス産業しかなかったはずである。
女性の職場労働は、ほとんど不可能といって良かった。
戦前は、女性の仕事は、農村部にしかなかったといっても、過言ではない。

 本書で妾として取り上げられている女性は、芸妓とか娼妓とよばれる人が多い。
それほど、女性の職業が限られていたことを物語るのだろう。
また、女性にとって妾になることが、経済的な解決でもあったのだろう。
男性たちが、奥さんを離縁している記事も目に付く。
妾として囲われた女性は、経済的な安定を確保しただろうが、
離縁された女性は、その後どうしたのか気になるところである。

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 筆者は女性の社会的な劣位に憤り、男性が妾をもつことに、警鐘を鳴らした。
それだけではなく、女性の職業を紹介してたりして、
女性の社会的な地位向上に、さまざまに腐心している。
彼のそうした流れを、大正時代になって、平塚雷鳥などが実践していく。

 ところで、筆者は貞操を重要だと考え、女性に対して、貞操堅固なことを要求している。
与謝野晶子への回答としてか、「小野小町論」を書いて、貞操の重要性を訴えた。
本書では次のように書かれている。

 与謝野晶子は「私の貞操観」で、「総てに無自覚であった従来の女に貞操の合理的根拠を考えた者のないのは当然であるとして、あれだけ女子の貞操を厳しくいう我国の男子に、今日までまだ貞操を守らねばならぬ理由を説明した人のないのは不思議である」に答えたかたちになっていた。P203

 貞操の重要さを主張することは、今から見ると奇異に感じるかも知れない。
これでは江戸時代までの女性は、貞操ではなかったように思えるだろう。
意外に思うかも知れないが、この時代までの女性には、貞操感などなかった。
前近代にあっては、性的欲望が近代よりも肯定されやすかった。
女性が決まった男性しか、性の相手にならないとなったのは、きわめて最近のことだ。

 江戸時代まで、女性も労働者だったから、ある程度の行動の自由があった。
農業労働者としての女性は、性的自己決定権ももっていた。
それが明治になり、急激な人口増加によって、女性に職業が限られてくると、
女性は結婚しか生きる道がなくなった。
女性は結婚を強いられた。
ここでの結婚は、専業主婦となることだったから、夫しか性の相手としないことによって、経済生活を確保した。

 女性の職業が限られている社会で、女性が欲望の赴くままに性の相手をしたら、
男性に棄てられる危険性を回避できない。
経済力のない女性は、たちまち路頭に迷う。
貞操とは、終生の一夫一婦=核家族しか選べない社会が、女性に強制した倫理である。
だから、貞操は正妻に要求され、貞操と引換に主婦の座が保障された。
貞操を守らない女性は、いわゆる商売女として、社会の埒外に置かれた。

 核家族秩序の確立が、貞操を必要とした。
言い換えると、妾に限らず正妻も、男性の玩弄に脱したのが、近代である。
女性の職業がない社会では、貞操の重要さを訴えることが、女性の味方になることだった。
しかし、現代から見ると、貞操の重要さを訴えることは、
カソリックなど保守派の言動であり、終生の一夫一婦制=核家族を守ることに他ならない。

 近代が男性を職場労働へと導き、女性の職業を与えなかった以上、
近代は本質的に男女差別を内包していた。
前近代では、女性は労働者だったから、性的自由があった。
後近代に入ろうとする今、女性に貞操を要求するのは、時代錯誤である。
つまり経済力のある人間は、性的世界においても自己決定権がある。

 1対1の男女関係を正しいものとするのは、近代のものである。
決して歴史貫通的だったわけではない。
その意味でも、男性を家庭に引き戻そうとするのは反動的であり、
女性が社会的労働者になる道こそ、歴史の流れに沿っている。
女性が経済力を持ち始めた今、本書を見返してみると、本当に感慨が深い。
(2004.1.2)
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参考:
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