著者の略歴−1956年生まれ。79年、京都大学理学部卒業後、同大学院に進み、博士課程をへて著述業に。専攻は動物行動学。92年、「そんなバカな!」〈文芸春秋〉で講談社出版文化貰を受賞。他、著書に「賭博と国家と男と女」「浮気人類進化論」「パラサイト日本人論」(以上文春文庫)、「男と女の進化論」「小さな悪魔の背中の窪み」「BC!な話」(以上新潮文庫)、「シンメトリーな男」(新潮社)、共著に「ワニはいかにして愛を語り合うか」(新潮文庫)、「もっとウソを!」(文春文庫)がある。「週刊文春」であらゆる疑問に動物行動学的に答える「私が、答えます」を連載中。 1988年に「浮気人類進化論」という本がでた。 人間の求愛方法は言葉であり、浮気をする、もしくは浮気をした時こそ、言葉がもっとも必要である。 言語能力の優れた人間からは、優れた子供が産まれてくる。 だから浮気をとおして言語能力が高まり、思考力=脳が進化した。 これが浮気人類進化論である。 本書は同じ筆者による第2弾である。
動物の例や人間の生物学的な面に着目しながら、人間の社会的な行動を語ろうというのは、E・O・ウィルソンの「社会生物学」あたりから由来するのだろうか。 サル学の研究も、長い射程で考えれば、人間行動の解明を視野に入れている。 本書は生物学を背景にしながら、やさしく楽しい読み物に仕上げている。 睾丸の大きさと彼の精子競争指数(SCI)との間には見事な相関がある。睾丸の大きい男ほどSCIが高い。睾丸の小さい男ほどSCIは低いのである。 睾丸の大きい男とは、おそらくこういう意味を持つのだろう。彼は精子競争が激しく、男女の関係がややこしい社会に適応している。そういう社会で子を残す競争をしようとしている。精子競争が勝利するにはとにかく毎日精子をどんどん作り続けることが重要だ。よって彼は睾丸を発達させているという次第なのである。P47 人間の生物としての特徴は社会性に直結しない、というのが私の立場なので、筆者の論には全面的には賛成しかねる。 とりわけ社会的な人間存在が、物質的な=生物的な事実から切れたので、情勢運動はウーマン・リブからフェミニズムへと孵化した、と考える私には、女性である筆者の説はまったくの寝言に聞こえる。 しかし、人間が生物である以上、生物としての規定性から逃れるわけにはいかない。 どのあたり線を引くか悩みながらも、なんだか本書を読み進んでしまう。 「チャタレイ夫人の恋人」のなかで、女性が4つのタイプに分類されているが、それは現代の研究結果と見事に一致するという。 ベイカーとベリスによって証されたその事実を知って、筆者はD・H・ロレンスの慧眼に、腰を抜かしたそうである。 精子競争や性交の研究を極めたこの学者が、最終的に到達する議論がこれなのだ。どうして一介の森番が、いや正確には作者であるロレンスが、こんな性の核心に触れる考えを披露することができるのだろう。それは経験のなせる業というものか。多くの経験を積めば男は誰でもこれくらいの考えには到達するものなのか……。 ベイカーは、こんなふうに女を4つのタイプに分けている。 第1のタイブは、どんな場合にもオルガスムスに達する、つまり性交でも、マスターベーションでも、前戯、後戯でも、眠っている間でも達することができる(多くの女は気づいてさえもいないが、眠っている間にもオルガスムスに達することがある) 第2のタイプは、性交、マスターベーション、前戯、後戯などのうち、すべてというわけにはいかないが、いくつかの状況でオルガスムスが起き、またその操作が可能だという女、そうプログラムされている女である。 第3のタイプは、性交のときに必ずオルガスムスに達し、そのタイミングを操作することができるという女。 第4のタイプは、性交、マスターベーションなどいかなる状況でもオルガスムスに達しない、オルガスムスなんて生まれてこのかた知らないという女である。どれもこれも、遺伝的にそうプログラムされているのである。P62 こんなことを男性が書いたら、大学フェミニストがたちまち攻撃するだろう。 しかし、筆者は女性である。 1956年生まれだから、フェミニズムの台頭をくぐっている。 筆者の目は、女性は被害者で、男性は加害者という先入見がない。 だから、こんなことが言えるのだろう。 偏見のない筆者は、もちろん同時に、次のような発言もする。 男が女を選んでいるように見えるが、真実は女が男を選んでいるのだ、と。 女はEPC(Extra−Pair Copulation=ペア外交尾つまり浮気のこと)をするため結婚する! 女は必ずしも理想の相手と結婚できるわけではない。相手は往々にして今一つの、魅力に欠ける男である。その不満を補うのがEPCだ。EPCによって魅力ある男の、魅力の元となっている遺伝子を取り入れる。そうして魅力ある子を得る……。魅力は、寄生者に強いなど必ず何らかの実質を伴ったものである。子の養育を保証してくれる男をキープしないままに、ただいい男の子どもを宿していったいどうしようというのか。まずは結婚。EPCをし、いい男の遺伝子を取り入れるためには取り敢えず結婚することなのである。 それが最近の生物化学の発達によって、女の戦略が危機に瀕している、という。 その理由は本書を読んでほしいが、偏見に捕らわれない筆者の発言は、とてもおもしろい。 この偏見のなさは、人間という種はオスとメスによって維持されてきたこと、そして、種の維持には交尾=性交が不可欠であることを、無前提的に肯定しているからだろう。 フェミニズムを知っている筆者は、性交も男女の政治下にあるとは認めるだろうが、それでも性交を肯定している。 アンドレア・ドウォーキンのように、性交は男性による女性支配だといっても、性交がなければ種は滅ぶ。 この認識が、筆者の曇りない目を保証しているのだろう。 感想・ご意見などを掲示板にどうぞ 参考: 下田治美「ぼくんち熱血母主家庭 痛快子育て記」講談社文庫、1993 イヴォンヌ・クニビレール、カトリーヌ・フーケ「母親の社会史」筑摩書房、1994 江藤淳「成熟と喪失:母の崩壊」河出書房、1967 増田小夜「芸者」平凡社 1957 岩下尚史「芸者論」文春文庫、2006 スアド「生きながら火に焼かれて」(株)ソニー・マガジンズ、2004 田中美津「いのちの女たちへ」現代書館、2001 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 梅棹忠夫「女と文明」中央公論社、1988 ラファエラ・アンダーソン「愛ってめんどくさい」ソニー・マガジンズ、2002 まついなつき「愛はめんどくさい」メディアワークス、2001 J・S・ミル「女性の解放」岩波文庫、1957 ベティ・フリーダン「新しい女性の創造」大和書房、1965 クロンハウゼン夫妻「完全なる女性」河出書房、1966 松下竜一「風成(かざなし)の女たち」現代思想社、1984 モリー・マーティン「素敵なヘルメット職域を広げたアメリカ女性たち」現代書館、1992 小野清美「アンネナプキンの社会史」宝島文庫、2000(宝島社、1992) 熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000 ジェーン・バートレット「「産まない」時代の女たち」とびら社、2004 楠木ぽとす「産んではいけない!」新潮文庫、2005 山下悦子「女を幸せにしない「男女共同参画社会」 洋泉社、2006 小関智弘「おんなたちの町工場」ちくま文庫、2001 エイレン・モーガン「女の由来」どうぶつ社、1997 シンシア・S・スミス「女は結婚すべきではない」中公文庫、2000 シェア・ハイト「女はなぜ出世できないか」東洋経済新報社、2001 中村うさぎ「女という病」新潮社、2005 内田 樹「女は何を欲望するか?」角川ONEテーマ21新書 2008 三砂ちづる「オニババ化する女たち」光文社、2004 大塚英志「「彼女たち」の連合赤軍」角川文庫、2001 鹿野政直「現代日本女性史」有斐閣、2004 片野真佐子「皇后の近代」講談社、2003 ジャネット・エンジェル「コールガール」筑摩書房、2006 ダナ・ハラウエイ「サイボーグ・フェミニズム」水声社 2001 山崎朋子「サンダカン八番娼館」筑摩書房、1972 水田珠枝「女性解放思想史」筑摩書房、1979 フラン・P・ホスケン「女子割礼」明石書店、1993 細井和喜蔵「女工哀史」岩波文庫、1980 サラ・ブラッファー・フルディ「女性は進化しなかったか」思索社、1982 赤松良子「新版 女性の権利」岩波書店、2005 マリリン・ウォーリング「新フェミニスト経済学」東洋経済新報社、1994 ジョーン・W・スコット「ジェンダーと歴史学」平凡社、1992 清水ちなみ&OL委員会編「史上最低 元カレ コンテスト」幻冬舎文庫、2002 モリー・マーティン「素敵なヘルメット」現代書館、1992 R・J・スミス、E・R・ウイスウェル「須恵村の女たち」お茶の水書房、1987 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 鹿嶋敬「男女摩擦」岩波書店、2000 荻野美穂「中絶論争とアメリカ社会」岩波書店、2001 山口みずか「独身女性の性交哲学」二見書房、2007 田嶋雅巳「炭坑美人」築地書館、2000 ヘンリク・イプセン「人形の家」角川文庫、1952 スーザン・ファルーディー「バックラッシュ」新潮社、1994 井上章一「美人論」朝日文芸文庫、1995 ウルフ・ナオミ「美の陰謀」TBSブリタニカ、1994 杉本鉞子「武士の娘」ちくま文庫、1994 ジョンソン桜井もよ「ミリタリー・ワイフの生活」中公新書ラクレ、2009 佐藤昭子「私の田中角栄日記」新潮社、1994 斉藤美奈子「モダンガール論」文春文庫、2003 光畑由佳「働くママが日本を救う!」マイコミ新書、2009 エリオット・レイトン「親を殺した子供たち」草思社、1997 奥地圭子「学校は必要か:子供の育つ場を求めて」日本放送協会、1992 フィリップ・アリエス「子供の誕生」みすず書房、1980 伊藤雅子「子どもからの自立 おとなの女が学ぶということ」未来社、1975 ジェシ・グリーン「男だけの育児」飛鳥新社、2001 末包房子「専業主婦が消える」同友館、1994 熊沢誠「女性労働と企業社会」岩波新書、2000 ミレイユ・ラジェ「出産の社会史 まだ病院がなかったころ」勁草書房、1994
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